雑多にノイズな

読書感想文を中心に色々。

読書感想文『ジェンダーと脳ーー性別を超える脳の多様性』

ダフナ・ジョエル&ルバ・ヴィハンスキ著・鍛原多惠子訳『ジェンダーと脳 性別を超える脳の多様性』紀伊國屋書店(2021) の感想文。

 

(はじめに、本が手元にない状態で書いている感想であるため記憶違いや勘違いがあるかもしれないことをお断りしておきます。)

 

すごく「納得感がある」というのが一番の感想。

 

自分の覚えている&理解した範囲で要約すると、人間の脳に「女脳」「男脳」というものは、ない。膨大な数の脳を様々な着眼点で調べた結果、女性と男性とを分けて集団で見た場合にはたしかにその「平均値」に性差は存在するが、個々の脳を見るとそう簡単な話ではなくて、ひとつ(一人)の脳の中で「女らしい」部分と「男らしい」部分とがモザイクのように存在しており、その組み合わせは千差万別で、「きわめて女らしい/男らしい脳」というのはむしろ稀である。ある部分では「女らしい」が、別の部分では「男らしい」、そのパッチワークが我々の脳である、と。更に脳は変化をする。そして、そのように千差万別な脳をそれぞれに持つ多様な人間を、男女というふたつの枠に入れてしまう(しかも生殖器の型によって)ことが果たして適切なのか。それを乗り越える提案もしている本。

 

自分の「(一応)女」だという自認と、にもかかわらずそのしっくりこなさ。「女らしさ/男らしさ」なんて社会の要請によって作り出された幻想に過ぎないのではないかという疑念と、しかしながら性差や「女らしさ/男らしさ」というものが「ある」としか言いようのない、目の前にある個々の現実。「脳のモザイク論」はそれら全てに説明がつくもののように感じて、自分としてはすごく腑に落ちる内容だった。

 

また、自分は男/女という二分法はもちろん、性を「グラデーション」として捉えたとしてもどこか居心地の悪さを感じてしまうのだが、誰もがそれぞれに異なるモザイクの脳を持っているのだ、と考えると気が楽になる。というのはつまり、どこかに自分を(無理に)位置づけなくてもいいのだと思えるから。そんなことをしなくても、たしかに自分はここに存在しているのだ、と。…うまく言えないが、新たな視点を得られた感じ、景色が変わるような感じがした。あと自分に「すごく女らしいところ」と「すごく男らしいところ」があったとしてもどちらかが嘘とか欠陥とかいう訳ではなく、どちらも間違いなく自分自身なのだと思っていいのだ、否定しなくてもいいのだ、とも。