雑多にノイズな

読書感想文を中心に色々。

読書感想文『日本の女性名―歴史的展望』

この記事は、角田文衞『日本の女性名―歴史的展望』(国書刊行会、2006)の読書感想文です。

 

本の紹介

この本は、1980年~1988年に教育社から刊行された『日本の女性名―歴史的展望』全三巻をもとにした一冊。日本史学における本格的な女性名研究の先駆けとされる。

日本の女性の名前(下の名前)について、邪馬台国卑弥呼から昭和の新生児まで、一般庶民や奴婢から貴族・皇族まで、童名から法名や戒名まで、膨大な史料に基づいて述べる。
ただし近代についての記述は簡略なものとなっている(琉球アイヌの人々の名前についてはそこで触れられており、他と比べると僅かな分量となっている)。前近代の女性名については庶民も貴族も数多くの例を挙げて分類・考察されており、豊富な実例を目にすることができる。

本文も注釈も附録もとんでもない分量。とにかく本が物理的に重いので、まずは図書館でパラパラとめくってみるのがいいかもしれない。

メインの感想

本の紹介でもしつこく書いたがとにかく情報量が半端ない。史料に見出される女性名を大量に抽出し、分類しているので、見ているだけでその時代その時代の様相やその変化を感じ取ることができる。ただ、こちらの知識不足かもしれないが「もっと説明がほしい…」と思う部分もところどころあった。

こうして読んでいると、まだまだ男性を中心に語られがちな「日本の歴史」において、当然ながら人口の約半分は女性であり、多様な一人一人が生きていたんだなぁと実感させられる。と同時に、「女性」がまるごと差別されていく様子もまざまざと現れていてつらくもあった。

ところで著者曰く、この本が書かれた頃はまだ女性名史の本格的な研究が始まったばかりであるということで、自分にはこの本はとにかく広く範囲を広げて「ここから各々、気になるところを掘り下げてゆけ!」と言われている気がした(著者もあとがきで「後進の方々が著者を乗り越え」ていってほしいと書いているし)。自分がそこに連なることができるつもりでもないが、少しばかり思ったことを書いてみたいと思う。素人考えながらふたつ挙げたい。

ひとつは、元の史料そのものの性質とそこに現れる女性名との関係をもっと検討することができるのではないかということ。本書を読んでいて少し物足りなかったこととして、その時代・その身分の女性名をとにかく抽出しているという印象で、元の史料それぞれの性質による違いなどは(なかったのかもしれないが)それほど検討されていない様子であった点がある。というのも、古代の女性名について、戸籍とそれ以外とで異なる記述方針があるのではないかという指摘を見たことがあったからだ。*1具体的にいうと、本書では単に古代の庶民女性名の接尾語とされている「売(女)」という文字について(たとえば宿奈売、黒売、根売といったように、名前の最後に「売」が付く)なのだが、現存する古代戸籍上で全ての女性(約2000名に及ぶらしい)が例外なく「○○売(女)」の名で登録されている不自然さと、別の史料では10人ほどの女性全員に「売」が付いていない例があることから、戸籍作成者が男女の区分のために一律に付けた記号ではないかと指摘されているのである。女性名はいわゆる「家」社会成立以前はかなり多彩であるのだが、どういう史料にどういう名前が現れているのか、という視点で見ると何か新たに見えてくるものがあったりするのではないか…と自分は憶測しているのである。

もうひとつは、男性名との比較だ。これは著者がたびたび男性名との類似点や相違点に触れていることから思ったことで、一般に「名前」の歴史研究というと、女性名/男性名を別々に取り上げるものが多いように思うが、共に調べていくことで見えてくるものもあるかもしれないと思った(史料の制約上できないのかもしれないが…)。

…などと長々と書いたものの、初出がもう30年以上前の本であるので、このあたりももうとっくに研究されているのかもしれない(知りたい)。

それはさておき、自分は古代~中世史に特に興味があるので以上のような点に関心を持ったが、何度も言うように少しでも「名前」が残っている例について幅広く取り上げられているので、興味深い話・もっと知りたいと思う話はたくさんあった。たとえば江戸時代にもなると上流階級ではない人々のエピソードでも残るようになってきているためか、読んでいてつらい話もある一方で興味深い人物やなかなか豪快な人物がいたりして面白かったりもした。

とりとめのない感想

  • ごくたまにではあるが、著者のジェンダー観が不快なときはあった(私が過敏なだけかなという些細なことから、ちょっとその言い草は酷いのではないかというものまで)。
  • 個人的に気になるのは、室町時代までは、男性にも似たような名がある例や、男性名と見分けがつかない(文脈で女性と分かる)例があるらしいこと。現代では、名前で性別が判別できることの方がむしろ「普通」であるが、名前が必ずしも性別を表さない時代があったのかも…というのは私の希望が入り過ぎた見方だろうか。
    ひとつ、印象的だった例を取り上げたい。室町時代常陸国茨城郡六段田村の六地蔵寺の過去帳が引用されているのだが(222頁)、そのなかに次のように書かれている人物がいる。
      妙徳 当寺下女。号太郎。
    「妙徳」という戒名のこの人物は、生前はこの寺の下女であり、「太郎」と呼ばれて/もしくは名乗っていたということである。これ以上の情報は無いので、著者も「興味深い」と述べるにとどまるが、もしこの人物について生前の名前だけを目にしたら、現代人はまず女性だとは思わないだろうと思うと興味深い。そしてどうやら他にも例があることらしい(161頁、鎌倉時代)。
  • 話は逸れるが、犬もいつからか社会的地位が低下した(?)ようである(186頁)。
  • かつて創作漫画を描いていた頃の自分だったら、キャラクターの名前の参考にしただろうなと思う。時代別・身分別になっているのでそういう点でも使いやすい気がする。余談だが見た目も辞書のようである。

*1:義江明子『つくられた卑弥呼ちくま学芸文庫、2018、148頁。初出2005