雑多にノイズな

読書感想文を中心に色々。

日記:2022年7月9日(土)

久しぶりに小説を買った。

昔はよく読んでいたのだが、ここ数年はほとんど読んでいなかった。読んだとしても海外ミステリ…というかアガサ・クリスティ作品だけか。最近読んでいたのは人文書や硬めな新書ばかり。「作り話なんて読んでも無駄だ」的ないけ好かない理由ではなくて、なんというか、小説を読むのにどこか勇気が要ったのだ。

いや、「作り話なんて読んでも…」という気持ちが全くなかったとも言い切れない。もちろん人文書等が面白かったからというのが一番大きいのだが、同時に、スキルもキャリアも金も積めず、ただ歳を重ねる日々のなかで焦りから知識欲が高まっていたというのもあるだろう。すがっていた面もある。両方あったと思う。ポジティブな知識欲とネガティブな知識欲が。

とはいえ、小説を読まなくなったのは他の本に気を取られていたからというよりは、小説を「読みたい」という欲が無くなってしまっていたからだった。没入することに躊躇していた。怖い、とまでは言わないが、物語の世界に飛び込むことにハードルを感じるようになっていた。

昔はよく読んでいたから、そんな自分の状況が少しさみしくもあった。一種の「老い」なのかな、と考えていた。とはいえ「読まなければ」というこだわりも無かったから別にそれはそれでよかった。それが2022年の半ば頃になって、急に書店の小説コーナーで立ち止まることが増えた。理由は分からなかったけど、本を開いて、並んでいる活字を眺めるだけで心が安らいだ。

2022年7月8日、夜のテレビ番組はほとんど同じニュースを扱っていて、私はそれらの映像や音声に触れたくなくてEテレをつけていた(ちなみに久しぶりに観たEテレはかなり面白かった)。その翌日、書店で平積みされていた文庫本を買った。

小説を読めなくなったのは心が弱っているからだと思っていたが、そういうわけでもなかったらしい。なぜなら今の私のこれは完全に逃避だからだ。小説の世界に没入したい。「本当にこんなのが21世紀なのか?」と思ってしまうようなここ最近の現実がつらい。ただ、小説に逃げているのは悪いことではないと思う。これほど完璧な逃げ場所があるだろうか。こうして別の世界でたびたび休みながら、この現実を生きていくのだ。(それに、小説を読んで想像力・共感力が養われたことが人権理念の基盤になった可能性がある、というようなことが読みかけの硬い新書に書いてあった。)(…私のそういう、なにかと「メリット」を求める癖がメンタルに良くないんじゃないか?)