読書感想文『差別はたいてい悪意のない人がする』
キム・ジヘ『差別はたいてい悪意のない人がする』大月書店、2021
最終章近くまで読んで最初に戻り、途中まで読んでは中断してまた最初から読み…で、やっと読み終えた。めっちゃ良かった。この本を読めて良かったし、手当たり次第にひとに薦めたい本だ。
内容ももちろん良いんだけど、邦題がまた素晴らしいよなー…と思う。差別問題において「そんなつもりじゃなかった」はほとんど言い訳にはならないよな。差別してやろうと思って差別する人なんてそうそういない。でも差別はこの世にありふれている。傷ついている人がいる。不当な扱いを受けている人がいる。
でも正直言うと自分は、最初は「あ~、いるよねそういう人。」って感じで、半分他人事みたいな気持ちで読んでいた(「誰もが差別をし得るのだ」ってことを言ってる本なのに)。だから、「高校の成績別クラス編成」についての話を読んでいるときも、「ふーん、私の周りではそんな感じ無かったと思うけどな~韓国は学歴社会って言うからなぁ」って最初は思っていた。でもそこでようやく気づいてはっとした。そうだ、自分は「学校の勉強」はできるほうだった。特権を持っている側だったのだ。これが「差別が見えない」というやつなのでは、と。
(余談ですが感想文を書くにあたって当該箇所を見返したらだいぶ中盤で、「ここまでそんな認識で読んでたんかい!」って思った)
そのことだけが理由じゃないけど、「この本は大切に読みたい」と思って、行ったり来たりしながらつい先日やっと読み終わったのだった。全行に線を引きたいくらい、考えさせられる内容盛りだくさんで、何度も本を閉じては天を仰いだ。ただ―差別という重い問題について扱っている本にこんな言い方は適切なのか分からないが―新しい発想を与えられ、視界を広げられる気持ち良さもまたあって、読んでいて決してしんどいばかりの本ではなかった(というか、知識欲が満たされてわりと楽しかった…)
でもここで満足して学ぶのをやめては危ないんだろうな。本書でも「人は、自分が客観的で公正な人だと信じていると、自己確信の力によって、より偏向した行動をとる傾向がある」(p.120)ってことがいくつかの実験を挙げて示されているし。
あと思ったのは、「差別をしない」っていうのは「しない」という字面に反してすごく積極的なことなのではないかなということ。なんというか…決意をもって行動するような類のことというか。差別が既に組み込まれている今のこの社会においては、「フツーに」行動しているだけで知らず知らずのうちに差別的な言動をしてしまうことはもう、いくらでもあり得るし、既に傾きのある社会に立って「公平」を成そうとするのは簡単なことではない、ものすごく複雑で繊細で難しい作業なのだと思い知らされた。「善意」だけで差別はなくならない。必要なのは「知識」だ。
きっと私もこれからも過ちを犯すことはあるだろう。怖いことだけど。せめてそれを指摘されたときに無理な正当化を試みたりしない人になりたいな、と思う。(実際そのときになったら難しいんだろうな…とも思うけど。できればそうありたい。)